傾聴
知的好奇心をくすぐられ続けた時間で
頭の中のメーターが振れてる感じ。
まだ整理しきれてなく、新著も読み始めた
ところですが熱いうちに書きたいと思います。
あくまで備忘録的に、自分なりの解釈も交えて。
”~する”に対する言葉”~される”というのが
能動態⇔受動態の関係ですが、
”~する”に相対するのは”~なる”では?と。
僕的には、おおげさに言えば、マザーテレサの
「愛の反対は憎しみではなく無関心だ」
ぐらい、ナルホド!!なお話でした。
古代ギリシャの頃にはあって現在欧米の言語
には残ってない中動態というものにあたるとも。
そしてこの”~なる”というのがきわめて日本的。
”~なる”というのは、”~する”が及ばない、
思い通りにならない、自ずからなる世界。
それは言わば「足るを知る」ということ。
もしかしたら柳宗悦が日用雑器の中に
見出した美が技術(~する)ではなく
工人の無為(~なる)であるのとも
通じるのかもしれません。
共感というタイトルのテマヒマ・ブログも
書きましたが、共感ということについても
それは相手の話している”意味”を理解するもので、
丁寧に聴く(傾聴)
相手の話・言葉そのものを一緒に辿る
ということが大切、といった話もありました。
西村さんの新著のタイトル
「一緒に冒険する」も同じ文脈。
共感と傾聴は対立する言葉ではありませんが
共感 という言葉自体が
ビジネスやマーケティングの流行り言葉に、
そして作為的になりつつもあり、
何かもう一歩進めたい、それが
カフェや物販を行うテマヒマにとって何かは
思索を重ねていきたいと思いました。
西村佳哲さんの新著もこれからじっくり読みます。
それにしても読みたい本が貯まってきてます・・・
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