家業
所謂、漆器は木地師さんと塗り師さんが分業になっているのに対して、仁城家のお仕事は
、お一人で一貫して行われます。一つ一つの
器を作るのもそうですが、材木が届いて乾燥
させてというところから考えると、5年~10年
と気が遠くなる長さ。
例えば、岩手の安比塗だと漆を七回塗って、
磨いてを繰り返し仕上げますが、逸景さんの
場合は4回(お父様の義勝さんの時代は3回)
。ご自身「木の器」と仰ってるように、木目
を表情として生かした器。特徴的な、高台が
低い丸っこくて可愛らしい形も、高台高めの
形も、一見して仁城家の器と分かりますが、
敢えてデザインしたものではなく、出来るだ
け材料の木を無駄なく使いたいという思いか
ら辿り着いた形。民藝を表す表現としてよく
使い手からみた「用の美」という言葉があり
ますが、作り手からみた別の意味での「用の
美」とさえ言いたくなります。
お父様の義勝さんはどちらかと言えば寡黙で
逸景さんは具体的に教えてもらったというよ
りは背中を見て学べという感じだったそうで
す。「周囲からは自然とうまく家業が継承さ
れたように見えるでしょうね」という逸景さ
んの言葉からも、受け継ぎつつも、ご自身の
やり方、あり方について模索されている姿を
感じます。
義勝さん時代、義勝さんと逸景さんお2人体
制の頃は、時期毎に、木地の仕事、漆の仕事
と分けてらっしゃいましたが、義勝さんが引
退され、注文も増え、お仕事がたまる中で、
今は、昼は木地の仕事、夜は漆の仕事、みた
いに並行して進めてらっしゃいます。
昨年11月にテマヒマにお越し頂いてゆっくり
逸景さんとのお話の中で「健やかさ」「健全
さ」「健康的な」といった言葉が出ていたの
が印象的でした。仕事、暮らし、両方につい
て語られた言葉。自営業・個人事業主になっ
て我々夫婦も痛感していることでもあります
が、長く続けていくためには必要なこと。
例えば、無理した安めの価格設定であれば、
生計をたてていくために、無理した数量を
作り続けなければなりません。ただ、価格を
上げると、お客様が離れてしまう可能性もあ
ります。安易には「買い支える」という言葉
を使いたくはありませんが、手仕事の世界が
維持、持続していくためにはやはり、「使い
手」の理解が必要で、我々「配り手」は伝え
る役割を果たす必要があります。物販部門で
は「配り手」ですが、飲食部門では言わば、
「作り手」でもあるので、置き換えて頂ける
と分かるかと思います。ランチのお値段一つ
とっても実感していますが、価格って本当に
難しい。。。
逸景さんの小さなお子様がお2人いらっしゃ
ってその可愛いこと。工房と自宅は隣り合わ
せで、危ないのでお子様が工房に入ってくる
ことはないのですが、逸景さんはお子様の声
や気配を感じながら、お仕事されています。
子供時代の逸景さんもお父様の姿を見ていた
のでしょうか?サラリーマン家庭で育った僕
には想像出来ない環境ですが。そうやって家
業を継ぐというのはどういう感覚なのでしょ
うね?
若い頃、「欲が無い(無さすぎる)」と周囲
から逸景さんは言われていたそうですが、
「健やかな」暮らしを求める心境の変化はお
子様の存在がきっと大きいのでしょうね。
工房・自宅(実家)に隣接する土地に建築中
の新居を見せて頂いたり、お昼に美味しい親
子丼を頂いたり、とても貴重で豊かな時間を
過ごさせて頂きました。
写真の丼鉢は仁城家で5年ほど使ったものだ
そうですが、経年変化でのこの艶やかさ!す
ごくないですか?使えば使うほどよくなって
いくことを実感しますね。
逸景さん、ご家族の皆様、お世話になりあり
がとうございました!
そんなわけで?昨年1月にオーダーさせて頂い
たテマヒマ分が届くのはもう少し先になりそ
うです。皆様今しばらくお待ち頂ければと思
います。僕も楽しみにしながら気長に待ちた
いと思います。
仁城さんの工房を後に、倉敷民芸館の閉館時
間間際に滑り込み、岡山駅から徒歩15分ほど
にあるくらしのギャラリー(岡山民藝振興社)
さんの工藝家具の進展にお邪魔て岡山旅、否
、岡山出張は終了。
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