香港
プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
2000年代初頭のことですが、前職で、社内で
は直取と呼ばれていた仕事も担当していまし
た。「も」というのは、一番重なってた時期
、直取以外に、カタログの媒体企画、国内ブ
ランドの仕入、海外への買い付けもあって、
現場仕事としては忙しくも充実していました
。サラリーマンのよいことの一つは、そうや
って色々な経験を出来ることだと思います。
もちろん運などもあるかと思いますが。で、
その直取というのは、商社やメーカーを通さ
ず、自社で企画したものを、会社の現地法人
を通して、中国の工場に直接依頼して製造し
輸入販売するというもの。当時、香港にだい
たい月1ペースぐらいで出張していました。
先週の日曜日ですが、その香港の現法でアパ
レルでお世話になっていたJasonさん(写真
右)が日本に旅行中で、テマヒマにも遊びに
来てくれました。当時香港に駐在していてお
互い退社した後現在も交流のある益田さん
(写真中)もシークレットでお呼びしていま
した。益田さんはつい最近ご友人とテマヒマ
にお越し頂いたばかりで一週間弱ぶりでした
が、Jasonさんとは20年弱ぶりでしょうか?
アパレルのモノ作りについては、国内の取引
先だったMさんと並んで、Jasonさんに教わっ
たことは大きく、先生のような存在でもあり
ますが、コミュニケーションについても学ぶ
ことが多かったように思います。JASONさん
は広東語を使わず日本語で、僕は日本語を使
わず英語でコミュニケーションをとるという
ことを二人で会話する上での約束事にしてい
ました。(メールのやりとりは英語)。お互
い分かりあってるだろうというところから始
めるより、分かりあってないだろうから始め
るので丁寧なコミュニケーションになります
。蛇足ですが、香港を歩いていて「小心地滑
」という看板をよく見ましたが、日本語で言
えば「滑りやすいので足元注意」という意味
になるかと思いますが、同じ漢字を使う国同
士でも、ストレートには伝わらんやろなーと
思った記憶があります。コミュニケーション
についてもう一つ重要だと感じていたのは、
基本持ち帰らず現場で即決するということ。
お互いの信頼にも繋がります。そうやって英
語を使って仕事をしてた割に、会社でTOEIC
の試験を受けたら点数は散々で、およそ仕事
で使えるレベルには達していなかったのです
が、細かいニュアンスを伝える能力がない分
、YES,NOがはっきりして分かりやすかったの
かなと思ったり、必死で話す分、熱量が伝わ
るということがあったのかもしれません。20
年弱ぶりに会って話す英語は、普段使う機会
が殆どないこともあって、元々ない英語力が
さらに酷くなっていました。。。。
直取ではそれまで、ベーシックなアイテムし
か依頼していなかったのですが、僕が担当し
た頃から、デザイン・ディティール・素材・
加工も難しいものを依頼するようになってい
ました。低価格のモノだけでなく、中価格・
高付加価値のモノを作る必要性があった日本
側と中国での(低価格でモノ作り出来る)生
産拠点が北へと移る中で生き残る必要のあっ
た香港側とで思惑が一致していたとも言えま
すが、おそらくそれは結果論で、偶然が重な
ったからだろうとも思います。当時から中国
は生産地から消費市場にいずれ代わると言わ
れていましたが現在のようになっているなど
ということは想像も出来ていませんでしたし
、信じられないぐらいです。あと、香港の政
治情勢がこれほどにまで中国政府に抑え込ま
れてしまうことになるということも。今、香
港に住む人達はどんな思いなのでしょうか?
仕事からリタイアし悠々自適(?)で、毎日ジム
に通ってるそうで、今の方が若々しいぐらい
でした。当時から年齢不詳でしたが現在66歳
って年齢を聞いて改めて驚きました。そんな
風に約20年ぶりに会える、わざわざお越し頂
ける、というのもお店をやっていて良かった
と思えることの一つです。久しぶりに会うか
らって昔話をする訳でもなくお互いの近況を
聞いて、話してというのもよかったですね。
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