埴輪
おはようございます。
高槻市にある、民藝の器、暮らしの道具、食
に関する古書のセレクトショップ、お味噌や
発酵食品中心のカフェ、テマヒマ
プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
横浜でのKANさんの追悼ライブに合わせて、11月12日13日で東京に行ってましたが、旧白洲次郎・正子邸の武相荘に行ったり、武者小路実篤記念館(式場隆三郎と武者小路実篤展)行ったり、日本民藝館(生誕130年・芹澤銈介の世界展)行ったり。日本民藝館は朝イチ10時前に着いたのですが既に行列が出来ていて、館内も今まで見たことない混みあい具合でした。静かに心落ち着く場所ですが、あそこまで人が多いとそういう訳にはいきませんね・・・・。で芹澤銈介展について書くと思いきや、東京国立近代美術館で開かれている「ハニワと土偶の近代」展について今日は書こうかと思います。
土偶と埴輪ではなく、埴輪と土偶というタイトル通り、土偶は少な目で埴輪率高めの展示。埴輪や土偶そのもの「を」観るのではなく、埴輪や土偶「から」時代や世相を読む、そんな展示会でした。
高槻市の市のマスコットキャラクターは「はにたん」で、高槻に古墳が結構あって埴輪が出土してることからだとは思うのですが、その造形は所謂ゆるキャラ的な雰囲気。1980年代のNHKのおーい!はに丸君が分かりやすい例かと思いますが、埴輪や土偶は1970年代以降は漫画やアニメなどサブカルと結びついたりして身近な存在になっていたりしてどちらかと可愛いイメージ。しかし戦争中埴輪は戦意高揚や軍国教育に使われていました。戦後はイサム・ノグチや岡本太郎らによって、考古学的な意味とは別に「美的」側面が見出されたり。つまり時代時代によって、同じ埴輪や土偶なのに、見え方、伝わり方が変わってきているということ。
同じ埴輪でも、どういうライティングでどう撮るか、どうトリミングするか、何より写真にどういうキャプションをつけるかで随分イメージが変わってくるということについては意識的でないといけないと思います。ごく直近の事例で言えば兵庫県知事選挙で、斎藤知事(当時は候補)が当初一人辻立ちして誰も見向きしていない映像があるとして、それをどう感じるかは人それぞれのはずですが、そこに「孤独」というワードをつけるか「孤高」というワードをつけるかで随分印象が違ってくるというのは皆さん実感したことと思います。
縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪の「美」を言う時にも、そこに「日本ってすごいでしょ」的な意味が含まれるなら「日本もすごいし、他の国もすごい」ならいいのですが、「日本が他の国よりもすごい」的な感じに繋がっていくことについては警戒しないといけないと思っています。どういう文脈でどう派生・展開されるか、ということ。
そういう意味でとても考えさせられる展覧会でした。
図録も買ったのでしっかり見て読んでからブログ書こうかと思ってたのですが、兵庫県知事選のことがあったので、取り急ぎ書くことにしました。
テマヒマは今日も11時オープンで皆様のお越しをお待ちしております。ランチのご予約は5組で残り4席となっています。12時以降はお料理の確保予約(お席は空き次第のご案内)も承っています。
それでは好いモノ、好いコト、好いトキをテマヒマで。
今日も好い一日を!
埴輪というタイトルで書いたからというわけではありませんが今日は今城塚古墳では,古墳フェス「はにこっと」が開催されます。テマヒマも少額ではありますが協賛させて頂いております。
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