校正
こんばんは。
高槻市にある、民藝の器、暮らしの道具、食
に関する古書のセレクトショップ、お味噌や
発酵食品中心のカフェ テマヒマ
プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
前回のブログでご紹介した藤本智志さんの「日々是編集」読了しました。思っていた通り、いや思ってた以上に、良かったのです。優しい眼差しと語り口の中に、共感するところも多く、そして気づきもありました。
中でも「編集というただの器」の中でインタビュー記事を校正する場面があって
出てこなかった人や文化に光を当てることにこそ、
↓
出てこなかった人や文化が放つ光を捉えることにこそ、
僕はそういうところに光を見いだすんです
↓
僕はそういうところに光を見ます
僕自身は「光を当てる」とか「見いだす」という言葉を使わないものの、その言葉に違和感を持たないまま流していたことにハッとしました。藤本さん曰く、どこか上から目線で失礼な言葉遣い、もしかしたらそういう言葉を無意識に使ってしまってはないだろうか?とドキっとしました。上からということより自分を前に出すような、アピールしてしまってるような言葉、言ってみれば「我執」な言葉。
この本を読んだ直後のタイミングで、ある紙面の校正が届きました。
「私がセレクトした民藝の器」という言葉に引っ掛かりました。
前のブログで書いたように僕は「セレクトショップ」って言葉を使いますが、そこでは「選ぶ」ということよりも「編集する」ということに力点を置いていて、しかも「選ぶ」ではなく「選ばせて頂く」といった言い回しをしています。「セレクトする」ってあんまり使わないし、「私が」って強調してるつもりは全く無いです。
ちなみに校正では、ライターの方の言い回しは出来るだけ生かしつつも、結構赤入れしてしまう方ですが、これについては言い回しも直させて頂こうと思います。
先の藤本さんの文章はそこから民藝的無名性VS作家的有名性(≒自分の商品価値を高めようとする)という話に繋がっていくのですが、「民藝」を伝える側なのに、「利他」ということをよく書いてるのに、と自分を省みる機会となりました。
そしてこの本を読み終わり閉じようとする時にもう一発ハッとする文章に出合いました。
「伝えたいことをただ伝えるのか、伝えたいことをそこに込めるのか」
「大事なことは、届けたいことのあるなしではない。言わばそれを直接言ってしまわないことにある。饒舌に語って伝えるのではなく、感じさせる」
伝えるではなく伝わるのが大事とかってよく言ってますが、でもどこか伝えよう伝えようとしてしまっている、そしてそれが故に伝わらないことに苛立ってしまってる自分に気づかされました。
本を持ち読んでる時に、指に触れる表紙の装丁の引っ掛かりと心地よさと同じように、読み終わった後に引っ掛かりと心地よさが残る、良い本でした。是非おススメしたい一冊です。饒舌にならないように笑、でもメインテーブルで全力でおススメしていきたいと思います。
木曜日から始まった「木村恭子 三島手の器」メイン特集或いはミニ個展ですが、大変ご好評頂きありがとうございます!見いだしたり、光を当てたなどといったおこがましいことは全く思っていませんが、昨年に続いてご紹介出来ますこと有難く思います。お願いして追加で送って頂きました。先程展示していましたが、結果特集開始時点よりも充実しているみたいなことになりました。木曜日からメインテーブルに並びます。
それでは明々後日も好いモノ、好いコト、好いトキをテマヒマで。
今日も一日お疲れさまでした!好い夜をお過ごし下さい。
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