無地
こんにちは。
民藝と発酵をモノサシに
食を通して暮らしの豊かさを提案する
古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ
プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
「柳宗悦 無地の美学」(佐々風太)やっと読み終わりました。味わいながら読んでたら時間がかかってしまいましたが(あと途中に違う本を挟んでたこともあり笑)、また味わい直したいと思う本です。兵庫県民芸協会の月イチの読書会では「民藝四十年」(柳宗悦)に沿って順次柳の論考を一つずつ読み進めているところですが、”無地”というキーワードのもと時系列であるいは俯瞰的に柳の考えを見ていくことで、その微妙な変化も感じられ良かったです。また柳宗悦だけでなく、濱田庄司の視点、柳没後の柳宗理はじめ他の人々の論との比較があることでより深まります。個人的にはその濱田庄司、柳宗理の章や項が興味深かったです。
個人的には「民藝」が、モノについて、美についてだけにとどまらず、思想として「今」生きていく、暮らしていく上でどう「モノサシ」足り得るのかということに関心があるので、柳らの「無地」の論考からどういう解釈が出来るのかを考えながら読んでいました。
・「無地」は、紋様の否定ではなく、「無限」の紋様を含蓄していて、単純ではあるが単調ではなく「複雑」なもの。作られた「無地」ではなく生まれてくる「無地」に美しさがある。
前半、柳流に、言葉を変え、言い回しを変え、畳みかけるように「無地」の美しさ(あるいは思想)を語る言葉、日々、雑器を販売している身としては大きく頷くところですが、そこに留まらず・・・
SNSの影響が大きいとは思いますが、昨今、言葉や議論が単純化したり先鋭化したりしているように感じます。「無地論」から解釈出来ることは、分かりやすくすることで零れ落ちてしまう大切なこと、その奥に広がるものへの眼差しを忘れてはならない、例えばそんなことではないか?と。
・「無地」は鑑賞する側の「受け取り方」或いは「誤訳」よって生まれる。
受け取り手側が重要というのは「無地」に限ったことでは無く多くのことに言えること。受け取り手が受け取れるセンスを高めると同時に、無地に代表されるように、受け取り手が様々に受け取れるような「余白」が重要に思います。前段と被るようなことですね。松任谷由美さんがあるインタビューの中でAIには作詞は難しい。AIは「行間」を読むことが出来ないからという主旨の発言をされていましたが、AI時代の人間らしさとは?「無地論」は1つの回答になるかもしれません。
今回の「無地の美学」の中で、佐々さんは「利他」ということについても触れられていて、一時期、「利他」に関する本を読み漁ってた時期もあり、お店として意識していることでもあるので、我が意を得たりという感じがありました。佐々さんの師匠でもある中島岳志さんの著書の中に「思いがけず利他」という本がありますが、この「思いがけず」というところがポイントなのかなぁと思います。テマヒマで今年始めた「Omoiyari Note」のやりとりをみててもそんな気がします。このあたりは、「ケアの倫理」と合わせて個人的にもまた考え深めていきたいテーマでもあります。
というわけで一回目読み終わった段階での感想めいたものでした。
テマヒマは昨日今日、火曜日水曜日で定休日です。
明日11時オープンで皆様のお越しをお待ちしております。
ランチのご予約はお2組のみでお席にかなり余裕がございます。ご予約無しでもお席ご案内出来るかと思います。
それでは明日も好いモノ、好いコト、好いトキをテマヒマで。
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