八雲
こんにちは。
高槻市にある、民藝の器、暮らしの道具、食
に関する古書のセレクトショップ、お味噌や
発酵食品中心のカフェ テマヒマ
プロデューサー、バイヤーの太田 準です。
小泉八雲・せつ夫妻をモデルにした朝ドラ「ばけばけ」、毎朝楽しみに拝見しています。かなり前の話に遡りますが、主人公のときが出奔した前夫を追って東京に行き、居候していた部屋にいた学生が放ったセリフの中に印象的な言葉がありました。
「目には見えないものの時代は終わり」
その回直後に、「小泉八雲「見えない日本」を見た人(畑中章宏)」を買って読み始めました。
第一章のタイトルがジャーナリストから民俗学者へというタイトルですが、柳田國男によって民俗学が始まる前から「民俗学」をやっていた人、それが小泉八雲。
「怪談」で有名な小泉八雲ですが、霊魂や妖怪といった目に見えないものと日常的に交流している姿が日本人の特質、特徴だと捉えていました。酒造りと神事は強く結びついていますが、今なら微生物の働きと分かるでも、分からなかった昔は、神性を感じていたというのも自然なことに思います。
八雲の視点はその日本の大事な部分が、近代化・西洋化の過程で失われつつあることへの危機感/批判でした。旅人的な外部からの視点、帰化したことでの内部からの視点があり、外部の視点も、西欧でも当時の中心ではないギリシャやアイルランドの生まれ育ちであること、幼少期・青年期にアニミズム、自然崇拝、多神教のケルト文化に触れいたことなどラフカディオ・ハーンの生い立ちや半生が影響しているように思います。
民藝の柳宗悦については、貴族⤵民衆、都市⤵地方で、上から目線という批判がつきまといますが、小泉八雲同様の外部からの視点があったからこそ、民藝という新しい価値を発見出来たとも言えると思います。
議論が嚙み合わなかったということで有名な柳宗悦(民藝)と柳田國男(民俗学)の対談があります。柳は民俗学を経験学、民藝は規範学と表し、正確ではないかもしれませんが、民俗学は過去を客観的に正確に記録すること、民藝は過去から直観により美の標準を発見し提示すること(今に生かすこと)という違いだったと思います。同じ時期に「民」を冠して起こった両者には違いはあるものの、近代化・工業化により失われつつある日本への眼差しという点については共通していたのではないでしょうか?
小泉八雲がどのように「見えない」部分が見えていたかは分かりませんが、科学が発達するにつれ「見えない」領域は当時よりもどんどん狭くなっていっています。僕の子供の頃だと心霊写真ブームとか、こっくりさん・キューピットさんみたいなことが流行ってたりしましたが、今はどうなんでしょうか?どれだけ科学が発達しても最後に残るのはきっと死後の世界のように思います。
日本と捉える、理解する際に、神仏分離/廃仏毀釈前の、神仏習合の時代のことをもう少し知る必要があるなぁと思いながら読んでいましたが、またじっくり読み返したいと思います。
年末のチームテマヒマの忘年会終わりで珍しくみんなでカラオケに行って、夫婦で「ばけばけ」の主題歌、ハンバートハンバートの「泣いたり笑ったり」をデュエットしました。この曲の男性パート密かに結構難しいですよね?テマヒマにおける主旋律は店主のうちの奥さんで、僕はハモる役割です。
蔵出し市8DAYS、7日目。風の強い日で、あまりのお客様が少ないのでブログ書き始めたのですが、開店以来続いていた記録がもしかしたら途切れる危機に今あります。どうでしょう?
という訳で、挽回を期待しつつ残り1時間で本日の営業終了です。
明日は三連休最終日、蔵出し市最終日、皆様のお越しを心よりお待ちしております。
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