振返
明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いします。
という書き出しがいいのかどうかも分からないですが、今年初めての投稿ですので新年のご挨拶。約2週間ぶりの投稿になります。
高槻市にある民藝の器、暮らしの道具、食
に関する古書のセレクトショップ、お味噌
や発酵食品中心のカフェ、テマヒマ
プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
今日は昨年というかこれまでを振り返るような内容、テマヒマの考える今、といった内容です。長文となりますが(何人の人が最後まで辿りつけるのか!?)お時間あればお付き合い頂ければと思います。
■はじめに
昨年2025年、テマヒマでは、恩送りの仕組み(Drink Tickets/Omoiyari Ticket/Omoiyari Note)、哲学カフェ(月イチ朝カフェ哲学対話の時間)が始まりました。両方とも売上的なインパクトとしては皆無と言ってもよいですが、テマヒマとしては小さな一歩、でも大きな変化だった気がします。MECEに分けれるものでもありませんが、食べる(発酵)、買う(民藝)、学ぶ(主に食に関するワークショップ)に続く4つ目の顔と言えるかもしれません。動詞でいうと何でしょう?
カフェではこれまで、例えば店主の嗜好が変わったことからランチメニューが(ほぼ)ヴィーガン化・プラントベース化したり、スタッフの志奈さんがロースイーツクリエーターの資格を取得したことからカフェのメニューにロースイーツが加わったり、千春さんがメンバーに加わったことから雑穀を使ったランチメニューが加わったりと、偶然というかブリコラージュ的というか、少しずつ進化してきました。
クルミドコーヒー/胡桃堂喫茶店主の影山知明さんはお店の成長をよく「植物」の成長に喩えてらっしゃって、それはテマヒマにも当てはまります。ドリンクチケットや哲学カフェも開店当初から計画/設計していたことではなく、ご縁やタイミングがあったりで開店7年目にして生まれ、テマヒマっぽいメタファーで言えば「熟成」という感じでしょうか。初期テマヒマブログで、右脳か左脳かみたいなことをよく書いていましたが、感覚的に発想して(右脳)、それを編集、論理化している(左脳)ような感じですので、なぜテマヒマが恩送りの仕組みを始めるのか?とか、哲学カフェの民藝や発酵的な意味は?とかは完全に後付けで、必然性をあとで発見したとも言えます。
■民藝
仮に発酵業界というものがあるとして、ここ数年の発酵業界、発酵界隈を牽引してきた発酵デパートメントの小倉ヒラク(発酵デザイナー)さんの活動は素晴らしく、民藝「運動」初期の柳宗悦と比較したり喩えたり出来る、まさに「運動」と言ってもよいと思いますが、その小倉ヒラクさんが、発酵=食べる民藝という表現をしたり、急速に「民藝」への興味関心を深めてらっしゃってて、”「民藝」と「発酵」をモノサシに食を通して暮らしの豊かさを提案する古民家セレクトショップ&カフェ”と標榜しているテマヒマとしては心強いばかりです。
「民藝」は今から100年前に、西欧化、機械化・工業化、美術⤵工藝というヒエラルキーに対するカウンターとして、また民俗学、民具、農民美術など「民」に注目したムーブメントの中で、民衆的工藝の略として新たに生まれた言葉です。テマヒマという店名には(開店前の企画書から少し広がって)コスパ・タイパ、効率化・画一化、デジタル化・AI化する社会、に対するアンチテーゼの意味を込めていますが、歴史は繰り返さないが韻を踏むと言われてるように、現代という時代は100年前の状況にも酷似していると感じています。民藝というと、「モノ」の話、「美」の話と思われがちですが、それだけに留まらず、暮らし全般に対する提案(コト)であり、思想や哲学、宗教(ココロ)も含まれいて、実は深く、広いもので、情報過多な今、身体性をますます失いつつある今、人間が何でもコントロール出来ると考えがちな今、正解を求めがちな今、失敗することをおそれがちな今、自分で選択出来なくなっている今、他人軸で評価しがちな今、余白が無くなりつつある今、分断が深まる今、考え方、生き方の「モノサシ」足り得ると考えています。例えば企業における組織運営や人材育成などといったことにまで。
■発酵
一方、発酵とは、カビ、酵母、細菌などの微生物の働きによって、有機物が分解される「現象」(コト)で、味噌、醤油、納豆、ヨーグルト、チーズ、日本酒、酢などの発酵食品は、発酵により、風味が良くなったり、美味しくなったり、栄養価や保存性が高まったり、健康効果が期待されたりする食品(モノ)です。免疫力とか腸活とかが言われ発酵食品は現在ちょっとしたブームです。本来当たり前のものでブームになるというのが変なのですが。発酵食品の流行は震災や疫病といった社会不安の際にくるという話を聞いたこともあります。
発酵と腐敗とは実は同じ現象で人間にとって有益か有害かの違いでしかなく、善玉菌、悪玉菌、(+日和見菌)という別も同様です。また重要なのは、発酵・熟成において、主役は微生物で、ヒトは微生物に任せ・委ね、環境を整えるのが役割となります。例えばそこからはモノサシ足り得る思想や哲学めいたものも導くことが出来ると思います。前述の組織運営・人材育成への示唆となるのは想像に難くありません(前職で自身がそのようなチームマネジメントをしていたのに気づいたのは起業後のことでしたが)
みそソムリエの店主に学ぶ手前味噌作り講座をテマヒマでは毎冬開催していて大変人気です。講座中、参加者は無心になってお味噌作りを楽しんでらっしゃいます。身体性の回復ということも言えるかもしれません。何度も参加して下さってる方からは、みんなで集まって作ることの楽しさを聞きます。昔はあったであろうコミュニティの可能性も感じ、手前味噌を持ち寄り食べ比べする味噌同窓会(通称♪ミソドソ)も企画しました。どの時期にお味噌が出来るのか?食べられるのか?正解は無くて、美味しいと思った時が食べ頃。作る方それぞれの常在菌や置かれる環境によっても違います。地球温暖化の影響も感じます。手前味噌作りからは揺らぎへの寛容さ、待つことの楽しさも感じられるようになると思います。コロナ禍後に広まった除菌・殺菌とは一線を画す菌との共生を感じる方もいらっしゃるかもしれません。
■共通性
そんな民藝と発酵には共通するところが多々あります。
日本民藝協会のHPでは民藝の特性として次の9つが挙げられています。
実用性。鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。
無銘性。特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。
複数性。民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。
廉価性。誰もが買い求められる程に値段が安いものである。
労働性。くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。
地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。
分業性。数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。
伝統性。伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。
他力性。個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである。
柳宗悦がこの条件のもとに民藝を蒐集したのではなく、蒐集したモノから導いた特性なので、この条件が揃ったら民藝ですよ、ということではないというのが前提なのと、例えば、廉価性については、民藝が発見される前の民藝の価格のことを述べていて、価値転換が起こって以降は当てはまらず、現代的な言い換えが必要かとは思いますが、発酵について考えてみると
実用性。美容健康の為でなく、保存性を高め、人間が食べ生きるために作られた発酵
無銘性。特定の有名な醸造家が生み出したものでもなければ、菌も名声を求めていない発酵
複数性。菌の力により昔から数多く作り続けられてきた発酵
廉価性。元々は日常の暮らしの中で使う、誰もが買えるような安価なものであった発酵
労働性。菌の管理などには熟練の技術をともなうものである発酵
地方性。土地土地の気候風土(テロワール≒土徳)により生まれた独自の発酵文化
分業性。複数の微生物の活動により生まれ、複数の職人の共同作業で生まれる発酵
伝統性。先人の知恵や技術が受け継がれてきた発酵
他力性。個人の力を超えた自然の恵み、菌の働きに委ねることで生まれる発酵
特に地方性、伝統性、無名性、他力性に顕著かと思いますが、驚くほどの一致がそこにあります。柳宗悦も晩年語っていた浄土教的思想と言えるかもしれません。個人的には、「他力」「直観」「無名」「無作為」、そしてここまでも出てきた「ブリコラージュ」或いは「足るを知る」ということも、モノサシとして肝になるかと思います。
國分浩一郎さんが仰る「中動態」や中島岳志さんが仰る「与格」も無作為や他力、あるいは「不二」と共通するものがあるのではないでしょうか?
民藝を表す言葉としてよく使われる「用の美」。福岡の工藝店・工藝風向店主で雑誌民藝編集長の高木崇雄さんによると柳宗悦自身は発していないそうですが、「用」については、モノの用(機能)とココロの用(作用)がある(※機能と作用はRoundabout&OUTBOUNDの小林和人さんによる)という考えはとても豊かで好きです。
■月イチ朝カフェ「哲学対話の時間」(哲学カフェ)
月イチ開催の哲学カフェも今月で10回目を迎えます。テマヒマでの哲学対話は、案内文にも書いている通り、日頃「もやもや」感じているテーマ(問い)について、集まった人たちで一緒に「わいわい」話し、「うんうん」聴き、「ぐるぐる」考える営みです。情報伝達や合意形成、正解探しが目的ではなく、寧ろ正解のない「問い」について、耳を傾け、言葉を交わすこと自体を楽しみます。ディベートや論破の風潮とは真逆と言えます。築90~100年の古民家空間ということも相まって穏やかな時間が流れます。当日参加者が持ち寄った「問い」の中から投票でその日のテーマを決めるので即興性があります。ちなみに僕の案は一度も選ばれたことが無いので結果普段考えないようなテーマを考えることになりそれも有難いことです。哲学者の永井玲衣さんがポケットサイズの哲学という表現をされていますが、世界平和とかSDGsみたいな大きな主語よりは、自分事「小さな主語」の方がかえって広がり、深まる感覚があります。敢えて自己紹介をしないことで、フィルターがかからず、見ず知らずの人が対等に対話をすることが出来ます。名が無いのではなく名を無くす無名性は、SNS空間などの匿名性とは違います。司会進行を担当する僕はあくまで、ぬか床を混ぜる手のような役割で、コントロースすることなく、場に任せ、参加者に委ねていて、話が熟成するのを待つ。自然と何かが生まれ、参加者はそれぞれ違った何かを受け取ってお帰りになられているように感じます。必ずしもスッキリする訳ではなく、僕自身、哲学対話終了後に、その続きを考えることもしばしばです。やってから、民藝的な、発酵的な側面もあることに気が付きましたし、テマヒマが器屋でもあるが、テマヒマ自体が「器」そのものであるという発見もありました。
■思いやりチケット/思いやりノート
恩送りの仕掛けとしては、先述のクルミドコーヒー/胡桃堂喫茶のお手紙コーヒーや、店主が開店前に修行に行かせて頂いた未来食堂(店主:小林せかい)のまかない・ただめし制度などの先例もあり、参考にさせて頂いたりもしたりもしますが(個人的には全くオリジナルなものを1から生み出すずとも、吸収し咀嚼し組み合わせ編集することで新しい価値が生まれると考えています)、同じ贈与や利他であっても、意外と設計や表現は違っていて、そこにお店の思想の違いもあるように思います。
テマヒマのDrink Ticketsは4枚分の料金で5枚綴り。1枚分(Omoiyari Ticket)は言わばテマヒマからお客様へのプレゼント。勿論お客様がそれをそのまま使って頂いてもOKですし、Omoiyari Noteに貼ってまだ見ぬ誰かにメッセージを書いてプレゼントして頂けます。そして自分宛のメッセージだと思うOmoiyari Ticketを見つけたらお返事を書いて、使って頂いても。Omoiyari Noteが公開の交換日記のようなもので、プレゼントして下さった方はもちろん、誰もがご覧になれるので、「想い」がゆるやかに繋がり、ゆっくり続き、じわじわと広がり、循環していきます。プレゼントして下さったある方が過去の自分に宛てたメッセージを書きましたと仰っていて、それを受け取ったある方はまるで自分のことを言ってくれてるようだと涙しながらお返事を書いてらっしゃる場面がありました。そしてノートをご覧になって「温かい気持ちになりますね」と仰る方も沢山いらっしゃいました。
9ヵ月の間に65名の方がDrink Ticketsをご購入下さいました。既にリピーターの方もいらっしゃいますが、今年もどんなOmoiyari Noteという樽の中で、どんな善意の受け渡しが生まれ、発酵・熟成していくのか楽しみです。
■おわりに
テマヒマにもよくお越し下さる編集者の藤本智士さんが昨年出版された「日々是編集」の中で「編集者というただの器」という章があり、その中に”都会の人みんなが自分の商品価値を高めたいと思っているとまでは言わないが、はやりどこかで民藝的無名性ではなく、作家的有名性を良しとするところがセットされているんじゃないだろうか”という一文があり、ハッとさせられました。民藝のモノやココロを伝える店をやっているのに、まだまだまだ「我執」を手放せてないのでは?と。濱田庄司が遺した「覚えるのに10年、忘れるのに20年」という言葉ではないですが、これまで学んできたものを手放すのはなかなか難しい。
開店前、開店当初、マーケティングよりもブランディングということをしきりに言っていました。マーケティングは言わば受動的態度、ブランディングは能動的態度、その先に中動態的態度があるとしたら何だろう?設計主義、自力、作為がブランディングだとしたら、ブリコラージュ、他力、自然(じねん)はどんな言葉で言い表されるのだろう?そんなことを考えるようになりました。きっとそんな店が民藝的な店、発酵的な店なんだろう、民藝的な店、発酵的な店を目指したいと思っています。飛騨高山の工藝店・やわい家の店主朝倉圭一さんが「わからないままの民藝」の中で、先の民藝の9つの特性に倣って、民藝的な人ってどんな人だろうということを書いてらっしゃいましたが、民藝的な店ってどんなだろう?
カルチャー(文化)の語源である「カルティベーション(耕やすこと)」。
哲学者の鞍田崇さんが以前講演でキーワードとして挙げていて初期テマヒマブログでもご紹介したことがありました。別の文脈ではありますが、マーケティング→ブランディングの次はカルティベーションなのかもしれません。日々土を触り観察し耳を傾ける。土壌を耕し、種をまき、環境を整え、あとは微生物などに委ね、成長を待つ、たまたまを楽しむ。
ただただ耕し続ける。ただただ日々を営む。
7年3か月耕してきた中で、新しい芽(アイディア)が出てきそうな予感があります。
テマヒマでやってきたことや考えをテマヒマ(お店やブログ)の外でもっと伝えていきたいという考え。そして開店前の企画書に、事業内容として、Cafe,Commerce,Comunityと並んでConsultingということを掲げていましたが、コンサル的な展開。期が熟したとでも言いますか。
あくまでテマヒマでやってきたことの延長ではあるのですが、これまでのテマヒマ(+前職=30年)での経験・知見を活かしながら、正解やテクニックを伝えるというよりは、共に「問い」を立て、内なる答えを引き出し、伴走するようなことが今なら出来る気がします。発酵型マネジメントとか発酵型経営みたいなことをテマヒマブログでも書いたこともありますが、名付けて発酵型コンサル。よくこれからお店を始めたいという方、始めたばかりの方がテマヒマにはどういうわけかよくお越しになります。それから会社を辞めようと決意した人も。何かが始まろうとする瞬間って聞くだけでもこちらまでワクワクします。コンサルのご用命、話だけでも聞いてみたい、ちょっと相談してみたいという方もお気軽にお問合せ下さい。
というわけで、毎年、年始に今年の抱負を漢字一文字にするという習慣をそれこそ前職のマネージャー時代から続けていますが、一昨年・昨年の破・脱に続いて、今年は「新」にしようと思います(耕ちゃうんかい!?笑)僕も今新しいアイディアにワクワクしています。
それでは今年もよろしくお願いします。
テマヒマの次の営業は、1/9(菌いや金)11時から。年跨ぎ蔵出し市8DAYS後半戦、皆様のお越しをお待ちしております。
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