割当
こんばんは。
高槻市にある民藝の器、暮らしの道具、食に関する古書のセレクトショップ、お味噌や発酵食品中心のカフェ テマヒマ プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
少し前の日本経済新聞の記事、『女性の政治参加を進めるには「クオータ制」導入 本格議論を』という論考を読みました。日本のジェンダーギャップ指数は148国・地域中で118位と低迷していて政治分野の遅れの影響が大きい。日本ではクオータ制導入の是非を問うのではなく、クオータ制の制度設計に議論を進めるべき時期にきている。例えば女性候補が少ない党は政党交付金を減額することで実質的にクオータ制を実施している国とみなされることになる。
どちらかと言えばリベラルな立場を取っていると思うので、賛成!と言いそうなものですが、若干の違和感を持ってしまいました・・・(天邪鬼な姿勢からくるものではありません笑)。
論考が、このジェンダーギャップ「指数」に囚われ、どうこの数値を上げるためにはどうするかという点に終始しているからでしょうか?女性の参画や活躍、多様性が目的であって、数字は指標にすぎません。また計算式が変われば何とでも変わるので、実質が肝要かと思います。初の女性首相の誕生によって指数の改善されるかどうかという試算がされているのが象徴的です。高市首相という人が、明らかに右傾化した一連の政策が、果たして女性を代表しているのか?女性に寄り添っているのか?甚だ疑問です。地方出身たたき上げの菅元首相が「自助」と強調したのもそうですが、厳しい環境を乗り越え這い上がった人は、その環境を和らげる優しさを指向せず、マッチョさが目立つのでしょうか?
記事よると候補者に占める女性割合が最も低いのは自民党の12.8%で、極論するなら政権交代したらジェンダーギャップ指数は改善されますよと言いたくもなりますが、自民党のかなりを占めるだろう(ほぼ男性が占める)世襲を禁止したり制限すれば、確実に改善される気がします。女性割合ワースト2位の維新が提案していた比例代表のみでの定数削減案。今国会では見送りになりそうですが、おそらくそれも実施されれば女性比率を下げる方に作用しそうです。もし「身を切る改革」という言葉が本気なら、定数削減ではなく、議員歳費を減らせばよいです。この論者の言う同一選挙区からの多選禁止も是非導入して欲しいですし、抜本的に選挙制度も変えた方がよいと思います。
少し話はズレますが、最近世間を賑わしているような主にハラスメントやその隠蔽の問題は、詳細について語るほど情報を持ち合わせてませんが、社会状況・環境の変化に規範や制度が追い付いていない、ギャップから起こっているのでは?と考えます。社会の変化に対して、女性の政界進出が遅れているのは事実ですが、クオータ制よりは、遠回りでもその環境整備が重要ではと思います。少し前に書いた、テマヒマ的、発酵的教育論と方向は同じです。企業でも女性管理職比率向上みたいなことが言われてると思いますがどうなってるのでしょうか?僕自身が知っている情報は限られていますし8年前で止まってしまってますが。。。。
昨日は開店前の時間に月イチ朝カフェ「哲学対話の時間」(哲学カフェ)を開催しました。初参加の方4名、リピーターの方8名、男性5名、女性7名、定員満席の12名の方にご参加頂きました(運営スタッフ含む)。今回は比較的男性多めでしたが、毎回参加者の女性比率は高めで、どなたかが珍しい傾向だと仰ってました。いつものように自己紹介せずに皆さんから話してみたい、聞いてみたい「問い」を出し合って、決戦投票で決まったのは「AIと対話が出来るか」に。これまでもAI関連の案は何度か出ていましたが、意外にも15回目にして採用されたのは初めてでした。
責任、決断、非言語領域、意思、気持ち、個性、不完全さ、ぬくもり、ノイズ、揺らぎ、自分の都合、喜怒哀”楽“、違和感、待つ、ヒトのAI化、優しさから生まれた、、、
様々な言葉や思考が飛び交いながら進んでいきましたが、AIとどう付き合うか、どう使い分ける・使いこなすかといった話題が多かったでしょうか。AIの話をしているようで実は人間とは?を話していた気がします。
何年か後に同じテーマで話すとまた違うでしょうね?と仰っていた方いらっしゃって印象的でした。AIネイティブの世代になったらまた違うでしょうね。どうなっていくのでしょうか?
ご参加頂きました皆さんありがとうございました!
実はこのブログを書くにあたってそのAIさんに、このクオータ制の論考を読んで、テマヒマブログならどういうことを書くか予想してもらいました。
先日のブログで、ビートルズ来日60周年の記事から「成熟しない日本社会」について「大人ってなんだろう!?」と書きましたが、今朝の日本経済新聞の経済教室、上智大学の三浦まりさんの論考を読みながら、またその「成熟」という言葉が頭をよぎっています。政治の世界での「クオータ制(男女の候補者割当制)」の導入を本格議論すべき、という内容です。これを単なる「政治の世界の、数合わせの議論」として片付けるのは簡単ですが、僕たちの暮らしのモノサシに引き寄せてみると、非常に重層的な問いが見えてきます。三浦さんは、初の女性首相が誕生したとしても、それだけで国際的なジェンダー指標が良くなるわけではない、と指摘しています。たった一つの「象徴(=純粋なベスト)」が生まれたからといって、全体のシステムが変わるわけではない。これって、先々週に書いたサンダー・キャッツの「純粋性の罠」や、レシピの功罪の話にそっくりだなと思うのです。「初の女性首相」という分かりやすい記号を一つ作って「これで我が国も多様になりました!」と満足してしまう態度。それは、どこか「このレシピ通りに作れば完璧に美味しいカレーができます」という、思考を停止した設計主義に似ています。本当に必要なのは、たった一つの純粋な正解を作ることではなく、グラデーションとしての多様な「揺らぎ」をシステムそのものに組み込むことではないでしょうか。三浦さんが紹介しているフランスの事例――候補者の男女比が同数からかけ離れている度合いに応じて、政党交付金を減額する――という仕組みは、非常に面白い(不便益的でもある)なと思います。上から無理やり「女性を何人入れなさい」と命令するのではなく、「ペナルティが嫌なら、今手持ちのカード(人材)の中で、必死に工夫して組み合わせなさい」という制約を課す。これこそまさに、レヴィ=ストロースの言う「ブリコラージュ(あるもので何とかする)」であり、コントロールできない微生物の力を借りて、その土地土地の環境に合わせた味を醸し出していく「発酵」のプロセスそのものです。制約があるからこそ、人は必死に工夫し、そこに独自の「成熟」が生まれる。クオータ制の是非を巡っては、ネット上でも「逆差別だ」「時期尚早だ」と激しい二項対立が起きています。
やるかやらないか、の二元論でいつまでも足踏みしている姿は、やっぱり「大人になりきれない社会」の縮図に見えて仕方がありません。「そもそも女性を優遇すべきか?」という子どものようなイデオロギーの喧嘩を卒業して、「どうすればこの多様で複雑な社会を、みんなで健やかに運営していけるか」という具体的なシステム論(ベターの追求)に駒を進めること。それこそが、今この国に求められている「大人の態度」なのではないでしょうか。なんて、政治やクオータ制の話を、なんでもブリコラージュや発酵に結びつけなくてもよいですけど……。でも、繋がってしまうのだから仕方がありません(笑)。
いかがでしょうか?テマヒマブログっぽいですか?
なんだかもっともらしいことを言ってるようで、僕が書いたブログとAIさんでは論点が随分違っていて、なんだったら賛否については真逆だったりします・・・・
1時間早いですが、テマヒマ本日の、グーグー藤カレーコラボspecial curry week最終日の営業終了しました。テマヒマ及びグーグー藤カレーさんでコラボカレーをお召し上がりいただきました皆様ありがとうございました。
火曜日水曜日の定休日を挟んで、木曜日はいよいよsue kitchenさんとのコラボ冷製パスタランチです。一日限定・数量限定となりますが、是非ご賞味下さい。皆様のお越しをお待ちしております。現時点ではお席も余裕がございます。
それでは木曜日も好いモノ、好いコト、好いトキをテマヒマで。
今日も一日お疲れ様でした。好い夜をお過ごし下さい。
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