浮世
おはようございます。
暮らし、味わう。
民藝と発酵をモノサシに
食を通して暮らしの豊かさを提案する
古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ
プロデューサー、バイヤーの太田 準です。
瀬戸内寂聴さんが亡くなられました。
寂聴さんの作品はお恥ずかしながらどれも読
んだことはないのですが、もう何年も前に寂
聴さんと日野原重明さん(聖路加病院院長、よ
ど号ハイジャック事件にも遭遇)との対談に
うちの奥さん(テマヒマ店主)との対談を聞きに
行ったことがありました。内容はお恥ずかし
ながら全く覚えていなくて、お二人がお互い
の話を聞いたない感じで、思い思いのことを
お話されてるようで、なんだか楽しかったの
を覚えています。長生きする人ってそんな感
じなのかなぁと勝手に思ったり。日野原先生
(1911-2017)が105歳、寂聴さん(1922-
2021)が99歳。
文章を読んでて、ある人物の生まれた年、亡
くなった年が書かれていると引き算して何歳
まで生きていたのかぁとか、自分(来月で49
歳)だったらあと何年生きられるのかとかを考
えてしまったりします。それほどに死への畏
れがあったりします。
最近読んでる本(これがなかなか進まないので
すが)の中で、哲学者・橋本峰雄(1924-1984)
の「うき世の思想」が紹介されていました。
この世を「憂き世」と見て浄土に憧れるのは
仏教の影響で、15-16世紀頃に現世主義的な
「浮き世」へと転換したと言います。
「浮き世」は完全に「憂き世」と断絶してい
るわけではなく、「憂き世」は辛く悲しいが
浄土(あの世)への絶対的信頼があるのに対し
て、「浮き世」は不安がつきまとい、その
不安を克服する術を持たないので「浮き世」
であっても「憂き世」意識が残る。近世以降
近代を経て今に至るまで日本的人生観の基本
的枠組みとなっていて、日本における宗教の
世俗化でもあると述べているそうです。
僕が感じる死への畏れはだいたいこれで説明
出来ているような気がします。亡くなられた
寂聴さんは仏門に入ってらっしゃるので悟りを開いて恐らく違っているとは思いますが。
今頃、あちらの世界で、日野原さんとお互い
好きなことを言い合ってたりするのでしょうか?
ご冥福をお祈りします。
テマヒマは昨日、週末にも関わらずほぼラン
チタイムに集中していました。カフェタイム
に元部下というか同僚が来てくれてゆっくり
お話出来たのはよかったですが。お越し頂き
ました皆様ありがとうございました!
今日も11時オープンで皆様のお越しをお待ち
しております。ランチのご予約状況ですが、
11時半が1組、12時が1組のみで昨日とは一転
、残り8席とお席に余裕がございます。
それでは、好いモノ、好いコト、好いトキを
テマヒマで。今日も好い一日を!
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