看取
※写真は、しんらん交流館さんのSNSよりお借りしました。
おはようございます。
暮らし、味わう。
民藝と発酵をモノサシに
食を通して暮らしの豊かさを提案する
古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ
プロデューサー、バイヤーの太田 準です。
しんらん交流館で開催されてます「柳宗悦が
であった土徳〜人と自然がはぐくんだ越中富
山の美〜」関連で、河井寛次郎さんのお孫さ
んで河井寛次郎記念館学芸員の鷺珠江さんの
講演会を昨日聴講してきました。
河井寛次郎の人生を辿りつつ、河井寛次郎の
言葉からその考えや人となりをお話下さいま
した。
河井寛次郎の
何もない
見ればある
という言葉と柳宗悦の
今見ヨ イツ見ルモ
には共通するところがあるという解釈だったり
テマヒマ店内でも掲げてい河井寛次郎の言葉
物買って来る
自分買って来る
それと似た意味も持つ同じく寛次郎さんの
すべてのものは自分の表現
晩年、寛次郎さんは
すべてのものは自分の正体
と言い換えてたという話はとても興味深かっ
たです。
こういった寛次郎さん独特の言葉は深夜や明け方に浮かんでいたようですが、ご家族にお
話になる時、「言葉をもらった」という言い回しをしていたそうです。
今回の鷺さんのお話の中で、生老病死がテー
マということで、横道にそれてしまいました
が、と仰りつつお話しされたお話が1番心に
残りました。それはご主人をはじめ親族を看
取ったという話。それも病院ではなくご自宅
で。皆さん安らかに眠るようにお亡くなりに
なったそうです。余計なことをせず、自然に
任せていれば人はそのように亡くなるのでは
?そして遺された周りの人も穏やかな気持ち
になるのでは?と仰っていました。鷺さん独
特の表現で、死に向かって人は少しずつスイ
ッチをオフにしていっていて、延命治療みた
いなことはそれをまた(無理矢理)スイッチを
オンにするようなことでは?と。
僕自身、母や祖母、義父母を亡くしています
が、みな最期は病室で、なかなか自宅で最期
を迎えるというのは難しいとは思ったりもし
つつ、とてもよく分かる喩えだなぁと思いま
した。
河井寛次郎の亡くなった年、おそらく最後に
遺した詩は
「饗応不尽」
無数のつっかい棒で支えられている生命
時間の上を歩いている生命
自分に会いたい吾等
顧みればあらゆるものから歓待を受けている吾等
この世へお客様に招かれて来ている吾等
見尽くせない程のもの
食べきれないご馳走
このままが往生でなかったら
寂光浄土なんか何処にあるだろう
というものでした。
この世で生きていることそのものへの感謝に
溢れている素晴らしい言葉ですね。その境地
にまだまだ達することは出来てきませんが、
日々感謝の気持ちで暮らしていきたい、生き
ていきたい、と思います。
テマヒマは今日も11時オープンで皆様のお越
しをお待ちしております。ランチのご予約状
況ですが11時半のお時間がご予約で満席(席数
を減らして引き続き営業しています)の為、少
し遅めにお越し頂くのがおススメです。
それでは、好いモノ、好いコト、好いトキを
テマヒマで。今日も好い一日を!
※最後の写真は、しんらん交流館で開催され
ている展示の様子で、こちらは自身で撮影し
たものです。
12月7日(水)に、となみ民藝協会会長で大福寺
住職の太田浩史さんの講演が予定されている
ようなのでそちらも出来れば聴きに行きたい
と思います。
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