与格
おはようございます。
暮らし、味わう。
民藝と発酵をモノサシに
食を通して暮らしの豊かさを提案する
古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ
プロデューサー、バイヤーの太田 準です。
今年は「利他」という言葉がとても気になっ
て、そのキーワードが含まれる本を読み漁っ
ていた気がします。「利他」ということにつ
いてはまた書きたいと思いますが、このタイ
トル画像の「思いがけず利他」もそんな一冊。
初期テマヒマブログで、中動態ということを
書きました。古代ギリシャの頃にはあって現
在欧米の言語には残ってないもので、〜する
、〜されるという能動態と受動的の間に、自
分の意志ではないが自分でやったこと(〜なる)
という中動態があったという話。
民藝においても、美しいモノを作るのでは無
く、美しいモノが生まれるという言い方をすることが多いですが、柳宗悦あるいは仏教思
想(美学?)的に言えば「他力」というところで
しょうか。
「思いがけず利他」の中で中島岳志さんが、
ヒンディー語(インド北部〜中部で約5億人が
使っている)の「与格」構文を紹介していて、
その中動態にも似てるなと思い、とても興味
深かったです。単に言葉遣いというより、そ
こには深い思想性があるように思います。
私「は」うれしい、というのが「主格」。
私「に」うれしさが留まっている、というの
が与格。自分の意思や力が及ばない現象には
与格を使うそうです。
中島さんの説明が腑に落ちたのは謝罪の場面
。謝っておいた方がいいから謝っておこうと
合理的判断、意思的行為で謝罪されるのでは
無く(主格)、本当に悪かったという思いが心
に現れ(与格)、相手にそれが伝わる時「許し」
というモメントが生まれる。真の感情は「与
格」的に現れる。感情は意思が所有している
のでは無いという人間観がそこにはあると。
与格こそないですが、与格的な考え方は日本
にもあるように思います。
この後、志村ふくみさんの染色や土井善晴さ
んの料理を例にしつつ、共通点として民藝の
影響、民藝にある与格性を述べています。
美しいものを作ろうとすると、作品は人間の賢らしい作為性にまみれ、美が逃げていきます。重要なのは、意思を超えたものが宿ること。美は作るのではなく、やって来るのです。
テマヒマで毎年冬に開催してます手前味噌作
りワークショップ。大豆を煮て、麹と塩と混
ぜて、あとはいい環境のもとに置いておくだ
け。菌に任せる、自然に任せる。勝手に美味
しくなります。美味しさがやってきます。そ
ういう意味で、与格的な、他力的な世界観を
分かりやすく感じることが出来るように思い
ます。
今の我々の社会、世界、暮らしは兎角、能動
態的、主格的、自力的なことに過ぎる気がし
てきます。少し中動態的、与格的、他力的な
ことを感じたり、意識することだけで、何か
変わるように思います。テマヒマにお越しに
なって、家庭料理の延長的な発酵食品中心の
ランチやスイーツを召し上がって頂く、手仕
事の器や暮らしの道具に触れお買い求め頂く
、お店の空気感や雰囲気を味わって頂く、我々との何気ない会話する、そんな中から何
か感じるものがあったり、きっかけになった
り出来ればと思います。
テマヒマはクリスマスイブの今日も11時オー
プンで皆様のお越しをお待ちしております。
ランチのご予約はお2組のみで残り13席とお
席にかなり余裕がございます。
それでは、好いモノ、好いコト、好いトキを
テマヒマで。今日も好い一日を!
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