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こんばんは。
高槻市にある、民藝の器、暮らしの道具、食
に関する古書のセレクトショップ、お味噌や
発酵食品中心のカフェ テマヒマ
プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
「つなぐ、つながる、民藝」催事が終わった翌日、京セラ美術館に「民藝誕生100年〜京都が紡いだ日常の美〜」展を観に行って来ました。
京都から生まれたと言ってもよい民藝。京都での開催ということで朝鮮スタートでは無く木喰さんから。民藝を総覧する時にあまり取り上げられない上加茂民藝協団や上田恒次、寿岳文章も紹介されていて良かったです。モノだけでなく建築なども含めてあってワクワクしました。美だけで無く、暮らしを提案する「運動」。この展示会直前に亡くなられた無名舎の吉田孝次郎さんのインタビューが流れていましたが、その中で(当時の)京都の人にとって民藝など歯牙にも掛けないものだった(表現は違ったかもしれませんが)と仰ってたのも印象的でした。
とSNSにアップしましたが、ブログではその民藝の建築について。
ここで言うのは所謂、民芸建築と呼ばれるような商業建築として汎用化してしまったものではなく、民藝初期の先人達のお住まいとかについてですが。
ナガオカケンメイさんのラジオ「LONG LIFE DESIGN RADIO」(αステーション)に、今回の民藝展にも関わってらっしゃる、京都市文化財保護課で建築史家の石川祐一さんが出演され、お話されている中で、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司らの建築について、民家の再現ではなく、独自の審美眼で切り取って組み立てたものだったと表現されていました。通常の建築家なら全体から部分に落とし込んでいくところを、彼らは部分から全体に組み立てている感じがすると仰っていて興味深かったです。例えば大谷石を使いたいとか、ベンガラを塗りたいとか。
ちょうどその「つなぐ、つながる、民藝」に出店した際に、大阪日本民芸館の学芸員さんとお話する機会があって陳列について色々うかがっていたのですが、民藝館の展示もまた全体から部分に落とし込むというよりは、部分から組み立てていく感じがあって、なんか共通するものを感じました。
確か、展示・陳列は総合芸術だと柳宗悦が言ってたような気がしますが(言って無かったかな?)、建築もまたそうだと言えると思います。それだからこその共通性というだけでなく、この全体→部分というベクトルと、部分→全体というベクトルとの違いは、何か他にも言えることなのでは?という気がしています。民藝や発酵が、コスパ・タイパという言葉に代表される今の風潮へのアンチテーゼ、カウンターとしてモノサシ足り得るということをよく書いていますが、その文脈でも言えるのでは?と。まだうまく言語化出来てないですが。
ドタキャンなどもあってどうなることかと思いましたが、ランチタイムスタートからカフェタイム終了までお客様が途切れることなく、沢山の皆様にお越し頂きありがとうございました。
明日も11時オープンで皆様のお越しをお待ちしております。
ランチの11時半,12時のお時間はご予約で残り8席とお席に余裕がございます。
尚、明日は1時間早い17時閉店とさせて頂きます。
それでは、明日も好いモノ、好いコト、好いトキをテマヒマで。
今日も一日お疲れさまでした。好い夜をお過ごし下さい。
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