併存
こんばんは。
高槻市にある民藝の器、暮らしの道具、食に関する古書のセレクトショップ、お味噌や発酵食品中心のカフェ テマヒマ プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
民藝や発酵に共通する「作為の無さ」「他力」的な意味でも、中動態ということについて興味を持っていて、テマヒマブログでも何度か言及してきましたが、國分功一郎さんの「中動態の世界」は未読で、最近やっと読み始めました。また読み終わった時点でテマヒマブログでも書きたいと思いますが(読書感想文or書評ブログ化してる?)、昨日朝刊を読んでたら、その國分さんの言葉が紹介されていました。
「哲学がない時代は不幸だが、哲学を必要とする時代はもっと不幸だ」
「声に出して読みたい日本語」みたいな言い方すると、「声に出して使ってみたい言い回し」。なんかこんな風なん言うてみたい笑。というのは冗談として、なんかすごく分かりますよね。
テマヒマでやっている哲学対話/臨床哲学もそうで、実際に哲学カフェを始めてみて、今求められていることなんだなぁと気が付きましたが、哲学カフェが求められるという今という時代は必ずしも幸せな状態ではないように思います。「哲学対話がない時代は不幸だが、哲学対話を必要とする時代はもっと不幸だ」
ちょっと無理して展開していくと「経営哲学がない会社は不幸だが、経営哲学を必要とする会社はもっと不幸だ」。経営哲学、経営理念、経営思想、これらの言葉の意味やレイヤーの違いは一旦置いておいて、まるっと経営哲学としておいて。
ある会社(とオブラートに包んでも特定の会社であることは自明なのですが)が傾いていったことについて、面白い、ちょっと変わった会社が普通の会社になっていったから、という仮説をこのテマヒマブログでも書いたことがあります。言い換えると、世の中と同じ分かりやすいモノサシで測ろうとする、合わせに行くことでどんどん独自性を失っていくということが起こっていたのだろうと思います。
先日ご紹介した「人文知は武器になる」(山口周・深井龍之介)の「日本の未来」と題した第6章。日本の可能性をちょっと前向きに捉え過ぎてる気はしないではないですが、松岡正剛さんの言う「デュアルスタンダード」、日本には和魂洋才とか、漢字と平仮名、漢字と仮名文字、神仏習合・・・といったは、二つの要素をいいバランスで併存させる文化や歴史、伝統があるというのはなるほどと思いました。
経営において言えば、売上・利益をあげる、株主に還元するという要素(時間軸でいうと短期)と経営哲学の要素(時間軸でいうと長期)の両方が必要ということ。経営哲学がきちんと受け渡されていかなったのか、そもそもそれがあやふやなものだったのか(おそらく無くてもうまくいっていた時代が長かったのだと思います)結果、短期の数字を求め、しかも経営が悪化することで、加速度的に数字に追われるように、近視眼的になっていき・・・・
反動で今があります、って話を単純化して話すことがありますが、規模も小さな個人店だからそんなこと言ってられるのだろうという自覚もありつつ、でも(経営)哲学を一つの軸に、そもそもを「問い」ながら営んでいきたい、生きていきたい、と思います。
というわけで、「中動態の世界」に戻ります。
「中動態の世界」以外に今3冊ほど渋滞中です。。。。
それでは明日も好いモノ、好いコト、好いトキをテマヒマで。
好い夜をお過ごし下さい。おやすみなさい。
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