隠喩
こんばんは。
暮らし、味わう。
民藝と発酵をモノサシに食を通して暮らしの健やかさを提案する古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
テマヒマブログのいつもの書き出しにもあるように、テマヒマでは、民藝や発酵が、「使う」「食べる」だけでなく、現代において、暮らし、そして一歩進めて、生きていく上でモノサシ足り得るのでは?と考えていて、お店で、お店でお伝えしきれない分このブログに書いて発信しています。話していて、読んでいて、なんでも民藝や発酵に繋げますね~って感じかもしれませんが、繋がるんです!(川平慈英のモノマネをする華丸さんばりに)。民藝「的」に、発酵「的」に、捉える、考える、表現する。モノサシにするというのはつまり、民藝や発酵を、当てはめる・見立てる、(誤釈も含め)拡大解釈する、応用する・展開する、「比喩」的に使うことと言っていいかもしれません。
とすれば「メタファーとしての発酵」(Sandor Elix Katz著,ドミニク・チェン監訳)。これは読むしかないタイトルですよね!?一気読みしてしまいました。またゆっくりじっくり読み返したいと思いますが、感想めいたものを。
英語のfermentation(発酵)は、ラテン語のfevere(沸騰)を語源としていて、細胞代謝現象以外に、揺らぎ、興奮、泡立ちといった広い意味で使われていて、生物学的な現象と同様に、メタファーの意味でも「発酵できないものは何もない」、と著者は言います(笑)。実際、抗生物質、抗菌剤、純血、境界、差別、対立、分断、政治、気候変動、パンデミック・・・・。発酵という切り口(たまに発酵から離れつつ)様々な現代のトピックについて語っていきます。
「純粋性」ということについては思索したこともあるのでまた別の機会にこのブログでも書きたいと思いますが、個人的には
・境界の曖昧さ
・目に見えない繋がり
・穏やかにゆっくりとした変化
といった視点は、「発酵」を比喩的に語る時、モノサシとして語る時に、重要だなと感じました。民藝や発酵から「多様性」や「寛容さ」を述べていますが、共生や友愛、(本来の)保守も導けるかもしれません。
一方で、発酵を考える時に僕自身が多用する、委ねる、任せるといった感覚、民藝との共通性でもある「他力」的観点があまり出てこなかったのは意外でした。西洋と東洋の違いでしょうか?立場の違いでしょうか?
監訳のドミニク・チェンさんによる、あとがき・解説的な「発酵する体」の中で、発酵現象を知る、自分の身体を通して学ぶことは、人間中心的な思考を離れ、世界に対して今一度、謙虚な姿勢を取り戻すことにつながる、としていて共感しかありません。このテマヒマブログでも行き過ぎだ市場経済・新自由主義・グローバル経済について言及することがありますが、分かりやすさを追求する科学技術主義(Techno-Scientism)と問いを深める人文主義(Humanitics)との対立、或いはバランスの変化で捉えるという視点(太田意訳アリ)は興味深かったです。
最後にドミニクさんが紹介していた19世紀のドイツの哲学者フォイエルバッハの言葉を。
Der Mensch ist was er isst.「人は、人が食べるもの、そのもので在る」
福岡伸一さんの動的平衡を持ち出すまでもなく、人間の細胞は入れ替わっていくわけで、
You are what you eat.「人は食べたものでできている」
何を食べるかが重要という話かと思ったら、社会階級や属性に応じて人々が食べられるものが決定してしまっている、という社会の歪さを糾弾する言葉でした。階級みたいなものこそ無いものの、その文脈で考えた時、発酵食品もそうですが、自然栽培だったり、無農薬だったり、有機だったり、本来当たり前のもの、民衆のためのものだったものが、今や高価なものとなって、誰もが選択出来るものでは無くなっているという現代の問題が思い起こされます。「食」を考えることは「社会」を考えること。そんなことを考えながら、日々お店を開け、お客様をお迎えしています。
閉店間際に娘さんへのプレゼントをお買い求め頂いたお客様が最後で、七夕蔵出し市5days終了しました。お越し頂きました皆様ありがとうございました。
明日は定休日でお休みで、明後日11時オープンで皆様のお越しをお待ちしております。ご案内の通り、
7/9~13はグーグー藤カレーさんとのコラボカレーランチ
7/16はsue kitichenさんとのコラボパスタランチ
と地元コラボが続きます。
それでは木曜日も好いモノ、好いコト、好いトキをテマヒマで。
今日も一日お疲れ様でした。好い夜をお過ごし下さい。
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