磁場
おはようございます。
暮らし、味わう。
民藝と発酵をモノサシに
食を通して暮らしの豊かさを提案する
古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ
プロデューサー、バイヤーの太田 準です。
昨日は、断片的に読んでいて、読了出来てな
かった柳宗悦と京都〜民藝のルーツを訪ねる
〜を読んでいました。
関東大震災後、震災前から同志社大学への就
職の話があったこと、白樺派同人の志賀直哉
、岸田劉生らが既に関西に移ってたこともあ
り柳宗悦は東京から京都に移り住みます。そ
して柳宗悦、濱田庄司、河井寛次郎の三人が
京都に揃うことになります。
この京都時代の10年間について、土田真紀さ
ん(同志社大学講師)によれば、京都を拠点に、
朝鮮の旅、木喰仏探索の旅、1年3ヶ月にも及
ぶ欧米への旅行や滞在と絶えず旅に出ていて
京都という土地への関心は希薄であったので
は?としつつも民藝が誕生した磁場が京都に
はあったとまとめています。
杉山享司(日本民藝館学芸部長)は、京都の地は
大事なヒトとモノとの出会いの場となり、そ
の出会いがココロの深まりとなって柳の眼を
育んだとしています。実際この10年間に、当時まだ下手物(げてもの)と呼ばれていた雑器を
蒐集しているし、民衆的工藝(民藝)という言葉
を生み出し、日本民藝美術館設立趣意書を起
草したりもしています。
河井寛次郎と柳宗悦の出会いはあまりいいものでなかったのは有名な話です。新進気鋭の
作家としてデビューした河井寛次郎を柳宗悦
が東洋陶磁器の模倣に過ぎず、技は巧みだが
美しくないと酷評したことから、お互いに疎
遠で濱田庄司がその仲を取り持って出会い、
そこから柳の影響で河井寛次郎の志向、作風
が変わったと一般的に(少なくとも僕は)理解
していましたが、鷺珠江さん(河井寛次郎記念
館学芸員、寛次郎のお孫さん)の証言によれば
2人が出会う前から河井寛次郎は無名性への
思い、転換があったというのは新しい発見で
した。
杉山享司さんのパートの中で、柳も創刊メン
バーだった”白樺”の同人、白樺派の気風につ
いて、銀座たくみの志賀直邦さん(志賀直哉の
甥)が語っていて、知ったかぶりや他人の意見
の受け売りをことのほか軽蔑した。実体験に
基づいて自分自身の言葉でいかに語られてい
るかを常に厳しく問うたと。このことは昨日
今日とやたら引用が多いからというからとい
うわけでもないですが、借り物の言葉でなく
自分の言葉でというのは本当に大事だなぁと
改めて思いました。その流れで?志賀直邦さ
ん著”民藝の歴史”を読み返し始めたりしてい
ます。
同書の中で、四釜尚人さん(しかまファインア
ーツ)が京都民藝散歩と題して、京都に残る柳
宗悦と民藝運動のおもかげのある場所を案内
してくれています。この新型コロナウィルス
が収束したら河井寛次郎記念館はじめまた訪
れたい所が多数です。1日も早い収束と、そ
のための行動変容を願ってやみません。
昨日はcasa Brutus をご覧になってという、
お客様から商品のお問い合わせを頂きました
お店を営業自粛中のため本当に有難いことで
す。臨時休業中も通販対応は承ってますので
インスタなどで気になる商品がございました
らお気軽にお問い合わせ下さい。
それでは今日も心穏やかに、好い1日を!
0コメント