呼捨
こんばんは。
暮らし、味わう。
民藝と発酵をモノサシに食を通して健やかな暮らしを提案する古民家セレクトショップ&カフェ テマヒマ プロデューサー,バイヤーの太田 準です。
先日終了した、高島屋の催事「民藝展」では、大阪会場としては初めてトークショーやワークショップなど、催事内イベントが開催されました。以前もテマヒマブログでも書きましたが、いくつかのイベントは提案したり、企画したりさせて頂きました。人と人を繋ぐのも役割ですから。
催事4日目、河井寛次郎記念館学芸員の鷺珠江さん(河井寛次郎の孫)と関西学院大学教授濱田琢司(濱田庄司の孫)のトークイベントは立ち見の方も沢山いらっしゃる大盛況でした。棟方志功研究者の石井頼子さん(棟方志功の孫)の3人で登壇することはこれまでありましたが、意外とお2人だけというのは初めてとのこと。寛次郎記念館での高島屋さんとの顔合わせの時も感じましたが、お二人は血縁ではないのにどこか従姉弟同士みたいな関係で、そのお二人の関係性・雰囲気そのままに和やかに対談は進んでいきました。ちなみに鷺さんは琢司さんを「琢ちゃん」と呼び、琢司さんは鷺さんを「たまえさん」と呼んでいます。
よく福岡の工藝風向店主高木崇雄さんがお話会で、白樺時代、最年少の柳宗悦が年長の志賀直哉や武者小路実篤、高村光太郎らを呼び捨てして話をご紹介されていますが、琢司さんも以前ある講演会で、民藝同人がどのタイミングで柳と出会っていたか、具体的には柳の「工藝の道」を読んで柳のもとに集まった人とそれ以前からのメンバーとでは呼び方が違うと。呼び方で関係性が分かりますよね?実際、河井寛次郎や濱田庄司は柳宗悦より年下でしたが、柳のことを呼び捨てしていました。今回のトークイベントの中で、併催の文化催事「琉球の民藝」に関連して、河井や濱田は柳よりも先に訪沖を果たしていたことが紹介されつつ、民衆的工藝(略して民藝)という言葉を柳とともに作った河井や濱田は、だからこそ逆に「民藝」から自由だった、という話はとても興味深かったです。
初日の大阪日本民芸館学芸員の小野詢子さんの「関西の民藝」というタイトルのお話で、残念ながら全ては聞くことが出来ませんでしたが、初期から民藝運動との関係性が深い高島屋での催事で、御大礼記念国産振興博覧会の民藝館パビリオン(のちの三國荘)同様、モデルルーム的な、部屋感の演出の中で展示・販売するということが行われていたそうで、今風に言えばライフスタイル提案な訳で先進的というか。あれ?今の方が後退してる?苦笑。
「関西の民藝」と言えば、今回は触れられていませんでしたが、柳と袂を分かち、日本民藝協会から離脱、民藝協団を設立した三宅忠一を思い出しますが、三宅の柳批判の中には、価格の問題と作家の問題がありました。廉価性というのは民藝という言葉が生まれる前の民藝(雑器・下手物と呼ばれていた頃)のことで価値転換が起きたのでそれはある種致し方ないと思います。作家批判にはいくつかの要素がありますが、民藝作家と呼ばれる人が地方を指導することで、ざっくり言うとみな民藝風になり産地の個性が失われる、というものだったかと思います。
今回の鷺さんと琢司さんのお話の中で、もう一つ特に興味深かったのは、地方(今回の場合は沖縄)の職人と(河井・濱田ら)作家の関係性でした。語られていた具体的な事例は割愛しますが、三宅の批判とは違って、指導するされる関係、搾取するされる関係ではなく、お互いにリスペクトし合う、吸収し合う、影響し合う、そんな関係性だったんだろうなぁと感じました。
ほとんど打ち合わせ無しと仰っていましたが、さすがのお二人の呼吸。河井寛次郎・濱田庄司の関係が孫の鷺さん・琢司さんの代まで続いている、繋がっているのがとても素晴らしいですね。催事終了後に個人のFacebookには書きましたが「民藝は友情!」。民藝が始まった時から、もっと言うと白樺時代から「友情」というのが脈々と流れていると思います。
今回のトークイベント、本当に素晴らしかったです。これが無料!?ってぐらい。無料であれば撮影して配信するとか、アーカイブして多くの方にご覧になって頂ければ良かったですね。もったいないことでした。次回3年後への課題でしょうか。
呼び捨てというタイトル漢字二文字にしてみましたが、僕自身は、年上の人も年下の人も基本誰でも、さん付けしたい派です。何人かは呼び捨てする人が思い浮かびましたが、そう多くはないです。
民藝展、蔵出し市を挟んで、明日は久しぶりに飲食も含めたフルスペック営業です。
10時オープンで皆様のお越しをお待ちしております
それでは明日も好いモノ、好いコト、好いトキをテマヒマで。
今日も一日お疲れ様でした。好い夜をお過ごし下さい。
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